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徒然なるママに…

チアリーディングで人生が180度変わった話

 

これは、今から約10年前の話になります。

待ちに待った、
公立高校の合格発表当日。

合格をより確実にするために、
わざわざランクを一つ下げてまで臨んだ学校。

・・・のはずだった。

結果は惨敗。

私の受験番号は、そこには無かった。

「なぜ私が落とされたの!?」
「わざわざランクを落として受験したはずなのに‥」

こんな思いが錯綜し、泣いた。とにかく泣いた。
頭が真っ白になった。
合格を信じてくれている両親に何て報告しよう・・・。

 

とりあえず、
心配してくれていたお父さんに電話で報告した。

私「落ちたわ…私立の学校に行く事になると思うねんけど、
行ってもいいかな?」

父 「そうか。。。頑張ったね。
いいよ。○○高校でも頑張りなさい」

公立高校の受験失敗という出来事が、
この後の私の人生を大きく変えることになるとは・・・

 

嫌々はじまった高校生活

西隈裕子 cheerleading

公立高校の受験に失敗し、
滑り止めで受けていた私立高校に行くことが決定した。

3人姉弟の長女で下に弟がまだ2人もいたため、
幼いながらも、私立高校の高い学費が気掛かりだった。

特別裕福なわけでもなく、一般家庭で育った私は、
家計の心配が脳裏から離れなかった。

「申し訳ない。。。」そんな気持ちを抱えながら、、、

私自身の心のモヤモヤを晴らしたい思いと、
多少なりとも家計の助けになればと、
高校に入ったらバイトをして学費の足しにしよう。

そんな思いを持って迎えた入学式。

 

単なる高校の入学式のはずが、
突然、目の前に現れた光景に目を奪われた。

今までの人生では見たこともないような光景が拡がっていた。

そこには笑顔があふれ、
同じ女子高生とは思えない動きを繰り返す、

彼女たちを応援する観客も、心を奪われ、
驚きの声と拍手が漏れ響く。

なんじゃこりゃ!!!

私の人生をひっくり返すような衝撃を受けたもの。

それは・・・

 

チアリーディングとの出会い

西隈裕子 cheerleading

チアリーディングという競技に出会った。

チアリーディング部の演技を初めて目の当たりにした私は、
言葉では表現することが出来ないくらいの衝撃を覚えた。

過去15年間では感じたことの無いような感動で鳥肌が立ち、
自然と涙が出ていた。

絶対、このチアリーディング部に入る!

私は見ず知らずの競技に一瞬で惹き込まれ、
入部を決意していた。

コレが私の人生の大きなターニングポイントになるとも知らずに・・・

 

決意。そして親友からの導き

西隈裕子 cheerleading

「チアリーディング部に入る。」 そう決めたものの、
「次元の違う人たちのところに1人で見学に行くのはちょっと、、、」
そんな思いが脳裏をよぎり、躊躇していると、

導かれるかのように、
同じクラスになったA子がチアリーディング部の見学に誘ってくれた。

A子と話をしていると、
どうやら彼女は、このチアリーディング部に入るためにこの高校に入ったようだった。

(チアリーディングの「チ」の字も知らなかった私にとっては、
単なる滑り止めの高校だったにも関わらず、
彼女にとっては、憧れの高校だったのだ。)

見学に行くまで全く知らなかったが、
この高校は全国でも有名なチアリーディングの強豪チームだったのだ!

  • この高校のチアリーディング部に入りたくて入学した子。
  • 私のように、入学式の演技を見て、入部したいと思った子。

チアリーディング部の見学に来ていた他の子も、
見学に来た理由はそれぞれだったものの、

一つだけ共通していたことがあった。

それは、
"チアリーディング" という競技に心を奪われたこと。

高校入学までの人生を振り返ると、
いわゆるTHE体育会系の道を歩んできたわけではなく、
むしろ文化系。正直、運動神経も良くない。笑

普通であれば、
文化系ロードまっしぐらのパンピーが、
いきなりチアリーディングの全国強豪チームに入るのは、
不安でしかないはずだが、

すっかりチアリーディングの魅力に心を奪われた私は、
そんな不安もどこかに消え、むしろチアリーディングが私を呼んでいる!

そう思い込むほどだった。
(公立高校に落ちたのも、そのためではないか?と。)

 

親の反対。そして挑戦

西隈裕子 cheerleading

チアリーディングの魅力に一撃で魅了された私。

気分はすっかりチアリーディング部のメンバーだったが、
一つだけ気掛かりなことを思い出してしまった。。。

そう。
両親の説得である。

そもそも、
経済的余裕がある中で、
私立の学校に行かせてもらっているわけでも無いにも関わらず、
チアリーディング部に入れば、
追い打ちをかけるように金銭的負担を強いられる事は目に見えていた。

なかなか言い出しにくかったが、
両親に"心の内"を打ち明けた。

私「チアリーディング部に入りたい。。。」

親「そんな良くわからないチャラチャラしてそうなスポーツ、
ポンポンを手に持って踊っているだけやろう。。。」

ある意味想像していた通りではあったが、
チアリーディングという競技に対する先入観もあったのか、
私がチアリーディング部に入ることを、
簡単には認めてもらえなかった。

人生を振返ってみると、

生まれて初めて、
自分から自己表現をした出来事かもしれない。

「チアリーディングをやりたい!」と。。。

 

入部自体は賛成してもらえなかったが、
私の決意は変わらず、

なんとか、半ば強制的に仮入部期間だけ、
チアリーディング部に入る事を了承してもらった。

前途多難な出来事が待っているとは知らずに・・・

 

言葉に学び、笑顔に魅了

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親の反対もある中でスタートしたチア人生。

ワクワクとドキドキが入り混じり、
仮入部中の記憶はあいまいな中、
唯一記憶に残っている、
ある先輩から言われたワンフレーズが、
今でも脳裏に焼き付いている。

「チアリーディングを本気でやり抜けば、
 普通の高校生じゃ味わえない経験ができる」

何万人もの人の前で演技をしたり、
芸能界の大物と共演しテレビ出演、

確かにこれだけでも私の想像を超えていた。

そして今改めて、
この言葉の意味を噛みしめてみると、

普通の高校生では作れない、
一生ものの仲間を作る事が出来た。

そして更に私を勇気付けたのは、
こんなにも輝いている先輩方も、
高校からチアリーディングを始めた人が大半だった。ということ。

初心者だろうと、
運動神経が悪かろうと、
中学までスポーツをしてこなかった文化系だったとしても、

本気でチアリーディングに向き合えば、
「人間は変われる!」 そう教えてくれていたように思う。

仮入部ではあったものの、
先輩たちと時間を共にする中で、

演技をしている先輩たちのキラキラした笑顔に魅了され、
単なる憧れの存在が、目標に変わっていった。

親の不安とは反対に、
私のチアリーディングに対する思いは、
日に日に募るばかりであった。

 

反対していた両親に変化が…

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チアリーディングに触れる機会の無かった両親に、
絶好の機会がやって来た!

この機会を逃すまいと、
チアのイベントに両親を招待した。

目的は、、、

  • 仮入部期間中の私の頑張りと決意を見てもらいたかった。
  • 私が魅了された先輩たちの演技を見てもらいたかった。

無事、イベントに来てもらうことに成功し、
初めてチアリーディングを目の当たりにした両親。

信じられない事に、
両親のチアリーディング追っかけがスタートした。

つまり、
チアリーディングの魅力にとりつかれてしまったようだ。笑

 

改めて思う。。。

決して安くなかった部費や遠征費の負担、、、
ケガなどの不安、、、

それにも関わらず、
私の人生初めての意思表示と決意に対し、
最終的には反対せず、
見守り、一番近くで応援し続けてくれた両親。

本当に感謝でしかありません。

 

絆のめばえ

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1年生の夏。

正式に入部が確定し、ホッとしている暇もなく、
平日も休日もほぼ休みなくチアに没頭する日々が続いた。

嬉しい時も、辛い時も共に過ごした同級生19人。
右も左もわからない中、何度もミーティングを重ね、
時には本気で言い合いケンカをし、泣いて、笑って、いろんな事を積み重ね、
少しずつ、チアリーディングで最も大切な絆が芽生え始めていた。

高校時代、共に本気で取り組んだ友人達は、
今でも私の心の原動力であり、一緒に居ると落ち着く。
一番信頼できる最高の仲間である。

 

チアリーディングの甲子園! JAPAN CUP

2年生になり、
チアリーディング部に入って2度目の夏がやってきた!

JAPAN CUPとは、チアリーディングの甲子園と言われて、
1年で最も大きな大会である。

当然、他の出場校も、
この大会に照準を合わせ練習に取り組んでいる。

これは、同じ学校内でも言える事。

チアリーディングは、
1チーム16人で構成されているため、
チーム内でも競争が生じる。

約50人いるメンバーから選ばれる16人。

良き理解者であり、切磋琢磨する仲間とは言え、
代表チームに入りたい思いは皆同じで、皆がライバルでもあった。

 

なんとしてもJAPAN CUPに出場したい!と、
人一倍練習に練習を重ねた。

そして掴み取った学校の代表、そしてチームの代表としてのJAPAN CUPに出場。

ただし、強豪校の宿命だろう。

チームとしては当然、
JAPAN CUPへの出場が目標ではなく、優勝する事が絶対条件であった。

 

大会が近付くにつれ厳しくなる練習。

膝を負傷し、鼻の骨が折れたりと身体の節々が悲鳴を上げる中、
JAPAN CUPに向け、無我夢中で練習に励んだ。

怪我や苦しい事、失敗も数えきれないほどあったけれど、
日々の成長、JAPAN CUPの舞台に立てる喜び、
優勝という結果を求められる経験。

すべてを噛みしめるかのように、
24時間、寝ても起きてもチア漬けの日々を過ごした。

 

3連覇のプレッシャー

2年生でJAPAN CUPへ出場することを許された私は、
大きな喜びと共に、計り知れないプレッシャーとも闘っていた。

というのも、
JAPAN CUP史上初の3連覇という偉業がかかった大会だったのだ。

私だけの問題ではなく、
過去の偉大な先輩たちが築かれてきた歴史。

それを受け継ぎ、来年の4連覇に繋げる。
過去と未来を繋ぐ。

大舞台×3連覇でプレッシャーは最高潮だった。

 

ここでも私に平常心を取り戻しさせてくれたのは、
偉大なる先輩たちであった。

 

「今までの練習を思い出そう!」
「誰よりも取り組んできた自分たちを信じよう!」
「私たちが歴史を作ろう!」
「絶対出来る!」

 

チアリーディングの基本である笑顔で、
今!という瞬間を全力で楽しみ、観客を魅了する。

そして120%の力を発揮出来た時・・・

 

初出場×先輩の励ましの結果、、、

西隈裕子 cheerleading

2年生の夏。
初めて出場したJAPAN CUP。

2分30秒という全ての演技を終えた瞬間は、
今でも鮮明に覚えている。

割れるような声援。
大歓声に包まれる会場。
飛び跳ねて喜ぶチームメイト。
演技終了とともに優勝を確信した私。

 

結果、、、

高校生部門で優勝!
日本一に輝き、史上初のJAPAN CUP3連覇を達成した。

 

人生で初めて、自分の意見を主張し、
無理やり始めたチアリーディングというスポーツ。

心配や不安もたくさんあった中で応援し続けてくれた両親。
偶然にも重なった母親の誕生日とJAPAN CUP決勝。

何としても母親の首に掛けてあげたかった金メダル。

その夢が実現した瞬間であった。

不安・ケガ・挫折・あと一歩頑張れない自分。
色々な出来事を経験し、
日本一という2年前には想像もしていなかったような現実を手に入れていた。

ただただ無我夢中で走っていた私。

私には、多くの理解者がいてくれていることを確信している。

自分一人では、絶対に成し遂げれなかった日本一。
たくさんの仲間、コーチ、両親の存在があってこそ掴めた日本一だった。

 

人生の主役は自分自身

西隈裕子 cheerleading

高校受験に失敗し、
それがキッカケとなりチアリーディングという競技に出会えた。

今確実に言える事。

それは、
チアリーディングに出会っていなければ今の自分は絶対にいない。

この瞬間から約10年。
2児の母となった私も原点は変わらない。

失敗や挫折、問題なし。
チアリーディングの現役を引退し、ステージを変えるも、
自分の人生の主役は自分!

 

嫁になっても、母になっても、お婆ちゃんになっても、
私の人生は輝き続ける!

 

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大阪府豊中市出身。3児のママ。 詳しいプロフィールはコチラ

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