京都の道になんと囲碁盤がある!?という情報をGET!!笑
これは!囲碁が大好きな樹里と賢翔に見せなくては!と思い
調べてたら‥本因坊発祥の地だったことを知る‥。笑
最初は「寂光寺」というお寺へ行く予定だったんだけども
樹里と賢翔をお寺に連れてっても楽しめないかな〜??と思い、
京都市にある「本因坊発祥の地」と言われる囲碁のモニュメントを見に行ってきました!
囲碁好き必見!!【本因坊発祥の地】はコチラ!!
囲碁が大好きな人なら
一度は行ってみたい【本因坊発祥の地】
場所はコチラでございます!
〒604-0992 京都府京都市中京区 寺町通夷川上ル
「寺町通り」をまっすぐ歩いていたらポツン!!!とあった‥。笑
樹里と賢翔には行き先を伝えず
たまたま歩いてたら碁盤を発見!
という設定にしようということで秘密にしてました!笑
京都の道に碁盤が!!!
さて、寺町通りを普通に道を歩いていたら、
突然現れた囲碁盤!笑
と、今日一番はしゃいでた2人!笑
『打ちたい!』と言うだろうな〜と思って
この為に沖縄からわざわざ碁石持ってきてました!笑
ちなみに、
この囲碁モニュメントですが・・・
こんな内容が書かれてます!
「本因坊」発祥の地
この寺町通の名は,天正十七年(1589)頃 豊臣秀吉の都市計画により洛中の寺院が集められたことに由来する。 寂光寺もそのひとつで,別名を久遠院ともいい, 通りを挟んだ西側の町名「久遠院前町」にその名残が見られる。 寂光寺の塔頭「本因坊」に住まいしていた僧侶の日海(にっかい)(1559~1623)は, 信長・秀吉時代から囲碁の名人として名高く,江戸幕府が開かれると, 徳川家康の命によって寺を弟子に譲り,本因坊算砂(さんさ)と改名して幕府の碁所(ごどころ)を任された。 算砂は江戸に屋敷を拝領した後も,寺町の本因坊を本拠として, 春に江戸へ下り,年末に京に戻る暮らしをしていた。 以降,本因坊の名は世襲で受け継がれたが, 二十一世の秀哉(しゅうかい)は,真の実力者が本因坊を名乗るべきとしてその名跡を日本棋院に譲り渡し, 昭和十一年(1936),今なお続く選手権制の「本因坊戦」が誕生した。 宝永の大火(1708)で罹災した寂光寺は現在,仁王門通東山西入るに位置し, 算砂愛用の盤石や算砂直筆の囲碁狂歌などの貴重な史料を蔵している。
とにかく、
囲碁を打つ人なら1度は行ってみたい場所だね!笑
実際、このモニュメントが完成したとき
今村信也 九段と滝口政季 九段が実際にここで碁を打ったそうです♫
すごいね〜〜〜!!!
普通に隣でビュンビュン車走ってるけど!笑
実際に対局してみた‥
と言うもんやから
実際にここで対局してみました!笑
めっっちゃ寒いかったんやけどさ〜〜〜!!!!笑
何なら座ってる石の部分もめっちゃ冷たかったはず!笑
だけど、2人とも楽しそうに打ってるから
しばらく写真撮りながら見守る。笑
楽しそうに打ってるからさ〜〜
このまま最後まで打たせてあげたかったけど、
まぁ〜〜〜〜京都寒い!笑
樹里も京都に来てから
手が霜焼けで赤くなってたし風邪引いちゃう〜〜ってことで
序盤で退散してきました!笑
ちなみに、ここは人通りも少なく
私たち以外に囲碁を打ちに来てる人もいませんでした‥。笑
(ま、わざわざこんな寒い日に
外で囲碁打ちませんよね‥。笑)
2人とも喜んでもらえてよかった〜♡
本因坊発祥の地に来たご利益として三段くらい強くなってたらいいのに‥。笑